「あと一年やれば届く」。受験でいちばん重い判断のひとつです。
先に、この記事の限界を明示します。日本の浪人——高校を卒業してから一年かけて大学受験をやり直す制度——を直接検証した大規模研究は、当研究所が確認した範囲では見当たりませんでした。
以下で扱うのは留年(grade retention)と、大学での学年やり直し(course/year repetition)の研究です。「同じ内容をもう一年やる」という構造は共通しますが、浪人とは違う点が3つあります。
- 浪人は同級生と離れるが、留年も同じ(ここは共通)
- 浪人は本人の選択だが、留年は多くの場合強制
- 浪人はすでに卒業しているが、留年は在学中
したがって以下は、浪人の効果そのものではなく、「もう一年」という構造がどう働くかの参考として読んでください。
1. 最も信頼できる推定値は「ゼロ」
方法論的に妥当な84研究を対象に、3レベルのメタ回帰分析を行った最新のレビューが、最も信頼できる全体像です。
留年の平均効果はゼロであり、留年者と非留年者は平均して同様の発達を示すようだ[1]
プラスでもマイナスでもなく、ゼロ。これが現時点での最良の推定です。
2. 研究の質で結論が変わる——この分野の核心
ここがこのテーマの最も重要な発見です。
22研究・207の効果量を多階層モデルで分析した研究が、決定的な指摘をしています。
研究デザインの質が、より小さい負の効果と関連していた。中〜高の方法論的デザインを用いた研究の効果量は、統計的にゼロと有意差がなく、質の低いデザインの研究より0.34高かった(より正の方向)[4]
雑な研究ほど「留年は悪い」と出て、丁寧な研究ほど「差はない」と出る。
著者らの結論はこうです。
この結果は、留年が学力に負の影響を与えるという広く支持された見方に異議を唱えるものである[4]
米国の研究者による別のレビューも、同じ趣旨です。「留年研究の結論の圧倒的多数は、研究の質が低いために正当化されない」[11]。
3. 正の効果を報告した、質の高い研究
ドイツの1,325人を中等学校の最初の5年間、毎年測定した研究があります。性別・年齢・家庭の経済状況・小学校の成績・IQを統制し、留年前の成績も統制した、この分野で最も強い設計のひとつです。
結果は、通説と逆でした。
留年は、10の多様なアウトカム(数学の自己概念、自己効力感、不安、教師・親・仲間との関係、成績、標準化学力テストの得点)に対して、おおむね正の効果を持った[2]
そしてその効果は持続しました。
留年後1年目に見られたおおむね正の効果は、その後の学年でも維持された[2]
著者らは「これらの結果が留年に関する通説の少なくとも一部に反することを特に考慮すると、この知見は研究者・政策立案者・保護者にとって重要な含意を持つ」と書いています。
4. 浪人に最も近い研究:大学での「もう一年」
構造として浪人に最も近いのは、大学で1年をやり直す制度です。スイスの大学で、5,000人を対象に回帰不連続デザインを用いた研究があります[15]。
結果は二面的でした。
| 指標 | 効果 |
|---|---|
| 成績(GPA) | 約0.5標準偏差、持続的に上昇 |
| 1年目以降の中退確率 | 約10パーセントポイント上昇 |
| 履修ペース・専攻選択 | 影響なし |
やり直した者の成績は確かに上がる。しかし脱落する者も増える。
これは浪人を考えるうえで示唆的です。「伸びる」と「脱落する」は同時に起こりうる——平均値だけを見ると、この二面性は見えません。
5. 負の効果を報告した研究も多い
公平を期すため、反対側の証拠も示します。
ニューヨーク市の行政データを用いた回帰不連続デザインでは、留年は高校の単位取得を減らし、中退を増やし、特別支援への配置を増やしたと報告されています[9]。
スペインのPISAデータを用いた複数の研究も、留年は学力に負の影響を与えたと報告しています[12][17][18]。興味深いのは、小学校で留年した者のほうが、中等教育で留年した者より打撃が大きかったという点です[17][18]。
因果推論を適用した実証研究のレビューは、こう結論しています。
留年は効率的な政策とは考えにくい。政策に伴うコストが、留年の潜在的な(弱い)便益を容易に上回りうるからである[20]
6. 「同じことをもう一年」か、「別の道に変える」か
ベルギーの研究が、実務的に最も有益な比較をしています。中学2年(Grade 8)で留年した生徒を追跡し、留年した群と、教師の助言に従って進路(トラック)を変えた群を比べました。
教師の助言に従ってトラックを変えることは、同じトラックで留年するよりも良い決定であるように思われる[16]
同じ研究は、短期では留年に負の効果はなく、学業的自己概念にはむしろ正の効果があったが、長期では言語の学力が大きく低下したとも報告しています[16]。
短期的には持ち直したように見えて、長期では下がる。これは浪人でも起こりうる形です。
7. 浪人を考えるときに、研究から言えること
繰り返しますが、以下は留年研究からの推論であり、浪人の効果を実証したものではありません。
① 「もう一年で伸びる」という前提は、平均としては支持されない。最良の推定値はゼロでした[1]。「時間を足せば結果が変わる」という期待は、研究では裏づけられていません。
② ただし「浪人は無駄」という通説も、同じく支持されない。質の高い研究ほど効果はゼロに近づき[4]、最も設計の強い研究のひとつは正の効果を報告しています[2]。どちらの断定も根拠が弱い。
③ 平均ゼロは「誰にとってもゼロ」ではない。スイスの研究が示したのは、成績は0.5SD上がり、同時に脱落も10pp増えるという二面性でした[15]。伸びる人と、折れる人に分かれると読むほうが実態に近いはずです。
④ 「同じことをもう一年」より「やり方を変える」。ベルギーの研究は、同じトラックで留年するより、進路を変えるほうが良い決定だったと報告しています[16]。浪人するなら、去年と同じ勉強を繰り返すのではなく、何を変えるかが決定的だということです。
⑤ 短期の持ち直しを、長期の成果と混同しない。短期では自己概念が回復したのに、長期では学力が低下した例があります[16]。浪人の前半で「伸びた」感覚が、そのまま結果になるとは限りません。
8. 当研究所の見解
浪人するかどうかは、「伸びるか」ではなく「何を変えられるか」で判断すべきだと考えます。
研究が一貫して示しているのは、時間を追加すること自体には効果がないということです。ドイツの研究で正の効果が出たのは留年そのものではなく、留年後に置かれた環境が本人に合っていたからだと読むのが自然です。
去年と同じ塾で、同じ教材を、同じやり方でもう一年やる——これは「同じトラックでの留年」に最も近く、研究が最も否定的な形です。
逆に、何が足りなかったかを特定し、学び方そのものを変えられるなら、研究の否定的な結論はそのまま当てはまりません。
判断の分かれ目は、一年の長さではなく、変更の中身です。
この記事の限界
最大の限界は、対象が浪人ではないことです。留年は多くの場合強制で、在学中に起こり、同級生の中に留まります。浪人は本人の選択で、卒業後に起こり、環境ごと変わります。構造が違う以上、効果も違う可能性があります。
また、この分野は結論が割れています。平均ゼロ[1]、正[2]、負[9][12][20]——いずれも査読を通った研究です。研究デザインの質で結論が変わることが判明している[4]以上、どれか一つを引いて断定することはできません。
当研究所が確度が高いと考えるのは、次の1点だけです。
「もう一年あれば伸びる」という前提には、研究上の裏づけがない。
参考文献
[1] Effectiveness of grade retention: A systematic review and meta-analysis (Mieke Goos et al., 2021, Educational Research Review, DOI: 10.1016/j.edurev.2021.100401)
[2] Long-Term Positive Effects of Repeating a Year in School: Six-Year Longitudinal Study (H. Marsh et al., 2016, Journal of Educational Psychology, DOI: 10.1037/edu0000144)
[3] Meta-analysis of Grade Retention Research: Implications for Practice in the 21st Century (S. Jimerson, 2001, School Psychology Review, DOI: 10.1080/02796015.2001.12086124)
[4] Quality of Research Design Moderates Effects of Grade Retention on Achievement: A Meta-analytic, Multi-level Analysis (C. Allen et al., 2009, Educational Evaluation and Policy Analysis, DOI: 10.3102/0162373709352239)
[9] The Effects of Grade Retention on High School Outcomes: Evidence from New York City Schools (Louis T. Mariano et al., 2024, Journal of Research on Educational Effectiveness, DOI: 10.1080/19345747.2023.2287607)
[11] Retention and Academic Achievement Research Revisited from a United States Perspective. (J. Lorence, 2006, International Education Journal)
[12] The effect of grade retention on performance in Spanish students: a propensity score matching approach (J. Léon et al., 2025, Large-scale Assessments in Education, DOI: 10.1186/s40536-025-00243-0)
[15] Doing it twice, getting it right? The effects of grade retention and course repetition in higher education (Darjusch Tafreschi et al., 2016, Economics of Education Review, DOI: 10.1016/j.econedurev.2016.10.003)
[16] Is the cure worse than the disease? A longitudinal study on the effect of grade retention in secondary education (Carl Lamote et al., 2014, Educational Studies, DOI: 10.1080/03055698.2014.936828)
[17] Does Grade Retention Affect Achievement? Some Evidence from PISA (J. I. García-Pérez et al., 2011, DOI: 10.2139/ssrn.1962106)
[18] Does grade retention affect students’ achievement? Some evidence from Spain (J. I. García-Pérez et al., 2014, Applied Economics, DOI: 10.1080/00036846.2013.872761)
[20] Effects of Grade Retention Policies: A Literature Review of Empirical Studies Applying Causal Inference (Javier Valbuena et al., 2020, Journal of Economic Surveys, DOI: 10.1111/joes.12406)
この研究所について
当研究所は、受験にまつわる「よく言われていること」を、実際の研究にあたって検証しています。広告や体験談ではなく、査読を経た論文を引き、効果量を示し、再現されなかった研究や反証も併記する方針です。
確証が得られない事柄は「確証が得られない」と書きます。研究の対象が日本の文脈と異なる場合は、そのことを明示します。結論を急がないことが、受験生と保護者にとって最も有益だと考えるからです。
運営
本研究所は、東京都武蔵野市の武蔵野個別指導塾が運営しています。JR中央線・武蔵境駅の個別指導塾です。
ここで整理した知見は、そのまま日々の指導に使っています。「量をこなせば伸びる」ではなく転換点を見る。「早く始めたほうが有利」ではなく理解できる状態かを見る。根拠のある方法で、一人ひとりに合わせて進めます。
進路の判断に迷ったら、ご相談ください。「早く始めるべきか」「部活をやめるべきか」「浪人すべきか」——本記事で扱ったような判断は、一般論では決まりません。お子さんの状況をうかがったうえで、根拠を示しながら一緒に考えます。
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